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震災雑記(1)

この頃いや~な揺れの余震ゆえ眠れなくなってしまう^^;
なので、あれこれ書いてみる。

3月11日の大津波の2日前にも地震があり津波注意報が発令されていたが事なきを得ていた。
三陸の人たちは年に数回津波警報や津波注意報を経験しているが津波が襲来しても、今までは精々1m以下程度。
過去に三陸津波(明治)やチリ地震津波(昭和)を経験しそれらを基にハザードマップを作成してはいたものみな慣れっこになっていて「どーせココまでは来ないだろう」と思っている人たちが大半いる。わたしもその中のひとりだったがすごく危険なことだと肝に銘じる・・・

妹の職場では大地震後に大津波警報が発令されても「ここは大丈夫」という店長だったので避難が遅れ、津波に追いかけられるように逃げたらしい。
妹は足に障害のある人の手を引いて逃げる途中で店長が自分が引き受けるから先に逃げろ!と交代して間もなく津波に呑みこまれふたりとも還らぬ人となってしまった。
それから家に帰れなくなって妹のダンナが探しに行って3日目に避難所に辿り着いた。

父は今回の大震災で3回津波を経験した、過去2回は高台にある我が家まで押し寄せることはなかったのであの日も周囲の人たちが避難所に逃げたというのにのん気かましていたらしい。
一旦避難場所に逃げ、戻って来た母にせかされて高台の避難場所に逃げる途中で津波はお隣の屋根を覆い、父は津波に片足を突っ込み間一髪で上にいた人に引っ張り上げられ助かった。

大地震の時はわたしは家におり、家が崩れてしまいそうな恐怖の中でネコを外に逃がした方が安全かとサッシ戸を開けてわめいていたw
が、ネコ等は半端ない揺れとわめき声に怯えて家の奥へ奥へと隠れてしまっていた。家中探しまわってちゃんと姿を見せたのは2日後。地震の時相方はテレビを押さえていたらしいw
後で聞くとテレビを押さえていた人たちの多い事ww
三陸は地層が古くて地盤が頑丈なため地震の被害はほとんどない。

津波が襲うとは思いもしなかったが、港の地域は想像もつかないほど恐ろしいことになっていたとは・・・大船渡の動画です、見ている人たちの声が生々しいかも知れませんが・・・



大船渡の潮位は3mだったが、潮位計が壊れていた。実際は3mどころじゃない、隣の釜石や気仙沼が10m以上観測しているのに変な違和感を覚えた。
防災無線ののんびりした放送も腹立たしい!現状を確認できない場所から発しているせいでしょう。
映像の中盤あたりで自動販売機が流されていくその後ろの白い建物はかもめの玉子の本店。撮っているおじさんのつぶやきも何だかなぁって感じ。
わたしは津波を見ていないが、動画時間を見ると大船渡は8~10分の短い間で呑みこまれてしまったのが分かる。実際目撃した人もものすごいスピードで湾の中に流れて行ったと言っている。

県営アパート


避難する時は高台、もしくは堅牢な建物の3階に逃げろと言われていましたが3階はもう通用しない。県営アパートは4階まで津波にやられてしまっている。
避難する時は4階以上の建物へ!車ではなく走って逃げるのが肝要!!

津波は直線距離にして我が家の150m先まで襲って来た、もも(5kg)をケージにいれて息切れしながら高台の避難場所まで逃げたが3月中旬は雪がちらちら寒かった。家に残した猫は津波を被っても床上浸水ぐらいだろうから何とか生き延びてくれ!と祈るしかなかった。
まもなく避難所が開設されたが、もも(猫)を連れて避難所に行く訳にも行かないので市役所の駐車場で車の中で2日間過ごした。避難所にいないと食事の配給もなく、でも食べなくても全然平気?だった。2日目はおにぎりを半分だけいただいたが空腹感なしw
いま起きている状況を理解できず、他人事のような感覚カーナビのテレビを一日中みて過ごした。
たぶん大丈夫だろうと思っていた実家が気になりだしたのが3日目辺りから・・・「万が一何があっても取り乱すな」と相方に言われ実家の様子を見に行った。

アップルロード


変わり果てた景色は本当にショック!今ひとつ状況を呑みこめないで瓦礫の上を伝い歩いていると心臓を締め付けられるような痛みが湧いてきて万が一のことを思うと様子を見に行くのが怖かった・・・
途中でずぶ濡れになってよろよろ歩いているオジサンに遭遇、津波で気が触れたのかと思いきやちょっと変だったけど正気、実家の隣のオジサンだったw
流された車を探し歩いているうちに津波が残していった“潮だまり”に嵌ったとかでプルプル震えてながら実家の家族はみな無事だと教えて貰ってホッとした。実家のボロ車は未だ4台行方不明のまんま。

実家の地域の避難所は山の上にある「モビリア」というオートキャンプ場。瓦礫の上を歩き終わると延々と坂道が続き、やっと辿り着いて両親や妹たちと感動の再会w
遠くの親戚に連絡したいけど電話が不通、携帯も繋がらない状況。我が家の近くに仮設電話が開設されていたので代わりに連絡をすることになり、それならば知り合いの人たちの分も引き受けようと御用聞きして回ることに。県外の人も数名避難していた。

ついこの間まで母の漬け物でお茶をすすっていた場所がなくなってしまったのは実に不思議な感じだ、つーかうまく言い表せない。
実家の猫“トラ”は無事でしたが“シロ”が帰ってこなくなってしまったのが残念だ(´⌒`。)グスン
 

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