中尊寺にて

Twitterのつぶやきを埋め込むことが出来るらしい。
今日何となくわかった。


 


夕暮れ

バイトの帰りに見た夕暮れの空。
山越しに輝く先には何があるんだろう?

子どもの頃、遠く眺めるその先に何があるのか気になって・・・
人が沢山いたり、例えばお菓子の国のようなところで
幸せな気分にさせてくれるんじゃないかと「確かめたい」衝動に駆られた(笑)

大人になっても得られない(現実的じゃない)ものをずっと追いかけている。
得られない寂しさがずっと付き纏う・・・夢見る「夢子」なんだな。


 


箱根山テラス

  • 2014/09/08 | 
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箱根山テラス(神奈川県の「箱根」ではないですよ)
風光明媚なシンプルなお宿。






















※情報はこちら→箱根山テラス公式ページ
 


新緑の季節、鰻重が食べたくなった。

山の天辺まですっかり新緑が覆い、本当にいい季節になった。あの忌まわしい震災から4年目。後ろを振り返ってばかりじゃないが津波が奪い去ったものを思い出す。もし今でもそこに存在するなら思い出しただろうか、そんな想いと一緒に。本来ならそこに在ったものが無くなってしまった愛おしさと残念さがそうさせるのかも知れない。

たぶん20代の頃。
勤めていた測量設計会社が夥しいアルバイトを募集し更に会社総出で4年に一度の24時間通しで行う「道路交通センサス」という、祭りみたいな仕事が県境で行われる。女子は深夜は働かないので早朝に深夜組と交代して行った。前日の午前7時から翌日の午前7時までの仕事が終わると芯から終わった解放感に満たされた。それはどんなに天候が悪くても余程じゃない限り行われ、行き交う車を一旦止めて聞き取り調査を行うので県境は長蛇の渋滞になり休憩時間には排気ガスが充満する道路の隅で排気ガスがたっぷりしみ込んだ弁当を食べたりコーヒーを飲むと言った具合だった。

片付けを終えて帰り支度をしていたら何時も気前のよい上司が「朝飯食ってないだろ?なんでも奢るぞ。」と言って来た。会社までの帰り途中の気仙町と言う町に「天亀」と言う老舗の鰻屋があるのを知っていた。普段起きることがない薄暗い早朝に身支度をし半分だけ目覚めた頭で排気ガスを吸いながら仕事をした身体にはご褒美が必要なのだ。早朝組は社用車で乗合で現場に行っていたし、自分たちだけと言うのもなんだし結局他の乗合チームも誘い総勢7、8名で鰻屋に向かった。

鰻の老舗「天亀」は創業100年以上は経っていた。
玄関を入ると土間が広がっていて蒲焼きの丁度よく焦げた楚々られるいい匂いが店中くまなく広がっていた。玄関の右側には木造校舎のような広めの分厚い黒い板の階段がありそこから二階の広間に上がる。上り口にはやはり学校の来客用のスリッパに良くある茶色のビニール製のスリッパが並べられており、階段を上るとギシギシと軋む音がした。




二階は何部屋かに襖で仕切られているが、襖は何時も開け放たれ広間になっていて冬期間の営業中か特別な客でない限り閉じられることがなかったようだ。





もちろん頂いたのは鰻重だ。それと丁度若鮎の季節だったので鮎の塩焼きもついでに。鰻も塩焼きも文句ない美味しさだった。鰻はどの季節のでも好きだし、塩焼きは鮎の香りと腑のほろ苦さが入り混じって一層美味しさを増す。なんと!あの時のメニューと全く同じ写真を見つけてしまったのだ!それがこれなり~♡
きっとこれは天亀に食べに行く人たちの夏の定番メニューなんだろう。震災後、天亀は再建されていないので全て貴重な写真となってしまった。



天亀の鰻重はタレが他よりもちょっとしょっぱめな味付けだが、気仙川の畔に建っていて遠くに広田湾の海と松原海岸の白砂青松を眺めながら食べる天亀の鰻重はやっぱり格別だった。何時か夏の花火大会の夜にこの窓辺で鰻とビールで花火を眺めながら「大人呑み」したい密かな願いはこの先叶うことはないだろうなー。




鰻重と鮎の塩焼きを堪能しお腹も心も大満足!それから広間でしばしゴロゴロして「あの仕事も終わったー」を実感した。どこの会社もそうなようにキツイ仕事に駆り出されるのは若手。そして若手は社内では上司との交流の場が少ない、鰻を食べるイベントはちょっとした交流の場になったと思う。これから会社に戻り通常業務が待っていると思うとちょっぴり憂鬱だったが・・・。
あの時の支払いはもちろん気前のよい上司の役目だった、会社宛の領収証を発行して貰ったのかな?と今頃思い出した(笑)
その後しばらくは天亀で鰻重を食べた事を食べた仲間内でうひゃううひゃとよく話した。大勢の社員の中でたった7、8人だけがすごいサプライズを貰った気がして得意げに、誰もが満面の笑顔で(笑)
ごくたまに相方とふらりと訪ねては楽しんだ鰻重だったがもう味わうことはないだろう。震災は細やかな、それでいて贅沢な楽しみまで奪ってしまったのだ。

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季節の変わり目や事あるごとに震災前のことが甦る。陸前高田市は市街地は未だ荒野の中に道路だけあってどこに何があったのかも分からなくなってしまった。道路だけだと道を迷いそうになることもある。が、「瞼閉じれば」そこには鮮明に浮かぶ風景がある。
一番はやっぱり実家かな。田植えつつじの生け垣がある小さな序の口を上ると広くない庭がありどの季節も何かしら花が咲いていてときどき魚好きの父が外の流し場で魚を捌いている(母はやらないので)居間に入ると母がお茶を入れてくれて茶箪笥の中からおせんべいやら常備しているお菓子を出してくれた。いまでも実家に行くと目にする光景だが、両親が居なくなってもきっと忘れない光景だと思う。思えば震災前の話を両親とすることがない。両親が逝って、何時かわたしも逝くだろう。あっちで会った時の思い出話に取って置くことにした。

※文中内に無断で貴重な震災前の画像をお借りしました。
岩手と宮城を駆けるブログ
やまけんの出張食い倒れ日記

ご本人には寝耳に水のことと存じますが、ありがとうございました!<(_ _*)>
 


忘れるぐらい本を読んでいなかったが。

ネットで遊ぶ?ようになってから専門書以外は---専門書もごくごく必要な部分だけで。---読まなくなって、今ではすっかり忘れ去られた「読書」だった。本屋に行く回数もめっきり減ったし。それでも気になる本は買っていたのだけど。

「ネットも退屈」と夜明け前にふと手に取った本。陽が高くなるころまで一気読み。今日はゴミ出しの日だったり溜まった洗濯物があったりで途中で中断しながらも読み切りたい!欲求は止められない(笑)
ぼくは勉強ができない (新潮文庫)
山田 詠美
新潮社
売り上げランキング: 1,688

日々外に出て働かないとダメだなーと思いつつ、今日は「会社勤め」じゃなくて良かったと思った。言い知れぬ小気味よさがなにか別の「やる気」を起こしてる。穴だらけのこの身体をひとつ塞いでくれたような・・・この作業(読書)を続けたらどうにか変われるような気がして。
ただ、前回のゴミ出しの日は周囲の人たちに歩調を合わせてゴミを出したら近所のおばさんに「いっつも遅いのに今朝はずいぶん早いね、その調子、その調子。」と褒められたのに今日はゴミ出し最終便でまたもとに戻ってしまったのがちょっと残念でもある。

山田詠美は「ベッドタイムアイズ」からずっと好きな作家。今回も裏切ってくれなかった。何とも清々しい日になりそうだ。
 

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